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東京高等裁判所 昭和36年(行ナ)195号 判決 1963年10月15日

原告 フアルブウエルケ、ヘヒスト、アクチエンゲゼルシヤフト、フオールマールス、マイステル、ルチウス、ウント、ブリユーニング

被告 日本油脂株式会社

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、請求の趣旨および原因

原告訴訟代理人は、特許庁が昭和三五年抗告審判第三九九号事件について昭和三六年八月一七日にした審決を取り消す、訴訟費用は被告の負担とする、との判決を求め、請求原因として次のとおり主張した。

一、被告は別紙表示のとおり「ダイノール」および「DAINOL」を通常の書体をもつて上下二段に横書きして成る商標について、旧商標法施行規則(大正一〇年農商務省令第三六号)第一五条の規定による類別第一類(以下、単に旧第一類という)化学品、薬剤および医療補助品を指定商品として、昭和三三年四月二五日登録出願をし、昭和三五年三月二四日登録商標第五五〇一一六号として登録を得た。

二、しかるに原告は別紙表示のとおり、通常書体をもつて横書きする「Daonil」なる商標につきすでに昭和三三年八月一一日付をもつて、同じく旧第一類化学品、薬剤および医療補助品を指定商品として、登録第五二五一二二号として商標登録を得ている。

三、原告は自己の右登録商標の存在にかんがみ、被告の有する登録商標は旧商標法(大正一〇年法律第九九号)第二条第一項第九号および第一一号に該当することを理由として同法第一六条第一項第一号および第二二条第一項第二号により、昭和三五年七月二〇日被告の有する右登録商標の登録無効審判を請求(昭和三五年審判第三九九号)したところ、特許庁は昭和三六年八月一七日右審判請求は成り立たないむねの審決をなし、その謄本は同年九月六日原告に送達され、なお右審決に対する訴提起の期間は特許庁長官により昭和三七年一月六日まで延長された。

四、右審決の理由とするところは、旧商標法第二条第一項第九号の適用に当つては、両商標類否の判断はもつぱら願書貼付の商標見本自体についてなされるべきでありかつこれで十分であることを前提として、本件商標はローマ字のみでなく片仮名「ダイノール」が附され、またローマ字部分も全部大文字より成る「DAINOL」であるから、原告引用商標「Daonil」とは離隔的観察において外観上非類似であり、また両称呼「ダイノール」ないし「ダイノル」と「ダオニル」とは明らかに称呼上非類似であり、さらに両者とも造語商標であるが故に観念上も非類似であり、よつて両商標は旧商標法第二条第一項第九号における類似関係を有しないとし、また同項第一一号については、原告引用商標が周知著名商標とは認められないが故に、これもまた適用することを得ないというのである。

五、しかしながら、本件審決は次の理由によつて違法であり、取り消されるべきである。

(一)  本件商標の仮名部分は、ローマ文字の部分に対し比較的小さく表わされており、発音を註釈するルビ的存在として認識され、離隔的観察において一般需要者、取引者は原告の商標「Daonil」との関係において、右の片仮名部分に注意を払わないことは容易に推察し得る。同様に、第二字以下の大文字か小文字かについての差異を認識し、さらに「I」と「O」との位置の交替に着目して、両者は別個の商標であるとの正確な認識を期待することは到底不可能であるから、両商標は外観上類似である。

(二)  文字のみから成る商標の外観上の根本的差異はある特定の語がローマ字のみで書かれているか、仮名のみか、またはローマ字と仮名の併記かというに過ぎないが、今日、日本人は誰れでも、またこの種の商品の取引に関与する者は皆ローマ字体をも仮名と同じ位熟知しているから、ある語を仮名によつて読もうと、ローマ字で読もうと全く違いがなく、ある語が漢字、ローマ字または仮名をもつて書かれ、それらが特別の書体でなく、普通の活字体ローマ字または仮名の場合には、取引者はその語を図形としてではなく、彼の知つている文字または記号により評価する。ある商標がローマ字のみから成つているか、同じ語がローマ字と片仮名をもつて上下二段に書かれているか、またはその逆であるかということは取引上相違としてあまり価値がない。このような態様は全く一般的であり、したがつて商標法にいう特別顕著性あるものとみなされない。書き方において特徴なくかつ何らの図形も施されていない文字商標にあつて、商標比較の類似性の問題を審査する場合、最も重要なことは、当該商標が文字または記号によつてどのように発音されまたは称呼されるかということである。そこで両商標が称呼上相違しているか否かを検討するに、取引界においては、本件商標のような商標を消費者または取引者はその登録商標の態様から生ずると全く同じに称味するとは限らない。人々は商標をかならずしも営業用書類において商品を表示する文字の態様によつてではなく、当該商品が取引上どのように称呼されているかによつて印象ずけられる。本件にあつては被告がその商標をいかなる態様で使用するかでなく、取引上大衆がいかに使用するかにかかつているのである。大衆は「ダイノール」を商標として記憶する。同様に大衆は原告の同種の商品の表示として「ダオニール」の語のみ心に留めるのである。両商標の唯一の相違は発音上中間音が入れ代つているにすぎない。商標は取引上同時にしかも並べて観察されるものではなく、取引関係者は時と所を異にして商標を見るかまたはその称呼を聞くのである。このようなことを考慮に入れ両商標を比較検討するならば、ともに四音から成り、中間音が入れ代つているだけであるから、混同誤認され易いことが認められる。けだし、この種の相違は取引上普通の注意をもつてしはほとんど気付かれないであろうし、また容易に忘れられてしまうであろう。

(三)  両商標は造語であるから、観念について相違があるか否かの問題は審査する必要がない。

(四)  特許庁は同じような事件において、「ナメトール」の仮名および「NAMETOL」のローマ字から成る商標の登録を登録商標「NEMATOL」と類似しているとして拒絶した。この事件は本件と全く同じである。両事件は

(1) 二個の文字商標であつて、そのうちの一方は仮名およびマーマ字で、他方はローマ字のみをもつて書かれている。

(2) ともに四音から成る二個の文字商標であつて、そのうち二音が入れ替つている。

よつて原告はこの事件を先例としてここに引用する。この先例において特許庁が両商標の類似性を確認したと同じ理由から、原告は本件においても、単に入れ替つた二音によつてしか相違が認められない両商標においてはその類似性と誤認混同するおそれのあることは明らかであると考える。

よつて本件審決の取消を求める。

第二、被告の答弁

被告訴訟代理人は主文どおりの判決を求め、次のとおり答弁した。

一、原告主張の請求原因一ないし四、および五、の(三)は認めるが、同五、(一)、(二)、(四)の主張はこれを争う。

二、本件係争の商標「Daonil」と「DAINOL」とは、その外観において、またその取引者間における使用の態様において、対比的観察によるも離隔的観察によるも、かれこれの特別顕著性により判然と相違し、明確に区別し得るもので、混同を来すが如きことは到底考えられない。

三、次に称呼につき観察するに、「Daonil」と「DAINOL」とは語頭と語尾が共通しているとはいいながら、中間の音節は全く異るのであり、しかも一方はダオニルと短く発音されるのに対し、他の一方はダイノールと語尾を長く伸ばして発音するのであるから、一般人の注意能力をもつてすれば明らかに区別し得るのである。われわれ日常の生活環境の中においても、食糧品や調味料、あるいは薬品類等に本件よりも一層類似の呼び名を有するものにしばしば接するが、世人は一寸した注意により間違なく区別している有様である。

商標は取引上では態様から生ずる称呼とは異つて発音されることがあるもので、これは一般が周知の経験則であるむねの原告の主張は認めることができない。間違つた呼声はすみやかに是正されるべきである。

四、被告の商標の称呼はその態様から「ダイノール」一つのみであることが明らかである。これに対し原告のそれは、その態様から普通のローマ字解読者ならば、「ダオニル」ともまた「ダオニール」とも称呼しよう。発声の順序から語尾の方に勢いづき、自ら促音がかる成行から、「ダオニ」の次に「ル」との間を伸びさせるより詰める方が自然の傾向故「ダオニル」が「ダオニール」より原告の商標にふさわしいであろう。

次に称呼「ダオニール」対「ダイノール」の称呼上の類否の検討に入ろう。けだし、両者類似の結論は、より効率的に「ダオニール」対「ダイノール」に当てはまる理由が存し、原告またこれを認めているであろうと推察せられるからである。被告は、両商標の称呼は各発音四と伴長音一の五音から構成されると見る。さて、原告は両商標の唯一の相違は、「最大限中間音入替のみ」と主張するが、その入替は実質的中間音部すなわち被告の「イノ」に対する「オニ」の入替であつて、原告用語の入代なる言葉の示す如き、ほぼ前者と同じ効果をもつ後者を代用するのとは全く異り、実質はその裏であり、逆の、すなわち耳朶に著しく違つて響く音の入れ換え、置き直しなのであるから、対比的、隔離的比較に関係なく、被告の商標は耳朶を撃つ最初の纒つた音響は「ダイノ」、そして原告のそれは「ダオニ」で、仮りにいくらか低下した聴力の人でも「全く別商品の商標だ」と聴き別けられるだけの音響差が耳に入つて来る。そして次の瞬間に「ノオール」の響が「ダイノ」に接続し、「ニイール」のそれが「ダオニ」につながれば、いずれも「ル」に終るのであるが、前者は「オール」、後者は「イール」の如く異り響く綿々の余韻が耳に尾を曳くから、両者全体にわたる称呼の響差はむしろ拡大するといえる。これだけの差別ある称呼を「中間音の入替り」と片付け、「普通の注意では気付かれない」と独断し、結局両商標は混同誤認のおそれがないという原告の主張は牽強附会である。

五、両商標はともに日本語としては何ら意味のない造語であるから、観念上の類似点というものは考えられない。

六、原告の引例両商標について

(1)  原告の「二音が入れ替つている」というのは間違である。ローマ字が二箇すなわち引例ではEとAが、本件係争の両商標ではIとOが入れ替つているのであつて、音そのもの入替ではない。

(2)  称呼上音色、調子、響き工合が係争両商標では前記のとおり区別がはつきりしている。これに反して、請求原因五の(四)の両商標では入れ替りによる音響の総合差が極めて僅少に過ぎない。のみならず称呼の音尾は両商標共通の「トール」で終るから、ますます区別がつかなくなる。

これを要するに、引例両商標の類似する理由を盾に係争両商標を類似とすることはできない。両者を類似とすべき根拠は全くない。

七、以上の次第で、本件審決は正当であるから、これが取消の理由たるべき何らの暇疵がない。

第三、証拠<省略>

理由

一、原告主張一ないし四、については当事者間に争いがない。

二、前記の当事者間に争いのない事実に、成立に争いのない甲第九、一〇号証を総合すれば、原告の商標は旧第一類化学品、薬剤および医療補助品を指定商品とし、「Daonil」の欧文字を別紙表示のようなモダン・ロマン体をもつて横書きして成るものであり、また被告の商標は旧第一類化学薬品、薬剤および医療補助品を指定商品として、別紙表示のように、ゴシツク体風の書体で「DAINOL」の欧文を横書きし、その上方に「ダイノール」の片仮名文字をやや小さく左から右へ横書きして成るものであることが明らかである。

三、そこで右両商標について、その外観、称呼および観念の点における類似性が認められるかどうかについて順次検討する。

(一)  前記認定のように、原告の商標はローマ字のみから成るのに対し、被告の商標は片仮名およびローマ字より成る点、前者は第一字は大文字であるが、第二字以下は小文字であるのに対し、後者は全部大文字である点および前者は第三字がo、第五字がiであるのに対し、後者は第三字がI、第五字がOであることを合わせ考えると、両者は離隔的に観察してもなお外観上類似するものとは認められない。前者の片仮名部分がローマ字部分に対しやや小さく表わされていることは原告主張のとおりであるが、発音を註釈するルビ的存在に過ぎないというべき程小さくはなく、その他右認定に反する原告の主張は採用し難い。

(二)  両商標の前記構成からみれば、原告主張のように、原告の商標から「ダオニル」の称呼が生じ、被告の商標から「ダイノル」ないし「ダイノール」の称呼が生じると解するのが相当であり、両者はともに四音から成り、語頭の「ダ」および語尾の「ル」の共通音を有するといえるが、中間音の「オニ」と「イノ」は音調明らかに相違し、前半の「ダオ」と「ダイ」後半の「ニル」と「ノル」とは発音上格段の差異があるから明白に区別され、両者を混同し聴き誤るようなことは全くないというべきである。

原告は本件両商標の唯一の相違は発音上中間音が入れ代つているに過ぎないから混同誤認のおそれがあると主張するが、同じくア行およびナ行に属する二音から成るといつても、母音オが両唇音であるのに対し、母音イは破口蓋音であつて、「オニ」と「イノ」の差異は極めて明白であるから、一般取引上普通の注意力をもつてすれば、両商標を混同し聴き誤るおそれはないというべきである。

(三)  本件両商標は、ともに何ら意味のない造語であるから、観念上類似しないことはいうまでもない。

(四)  原告は、「ナメトール」の仮名および「NAMETOL」のローマ字から成る商標の登録を登録商標「NEMATOL」と類似しているとして拒絶した審決例を引用して、この事件は本件と全く同じであると主張するが、原告主張の審決例が存しても、それは法律上本件の判断を拘束する力がないことはいうまでもないのみならず、「ナメトール」と「ネマトール」とは、後半「トール」の共通音を有する上に、前半の「ナメ」と「ネマ」とが、同じくナ行およびマ行に属する二音から成るばかりでなく、ナ、メ、ネ、マはいずれもその子音が鼻音に属するためはなはだ紛らわしく聞こえるものであり、これと態様を異にする本件における事実認定についての基準とはならないから、原告の右主張は採用に値しない。

四、以上説示のとおり、本件両商標に類似性は認められないから、その類似することを前提として本件被告の商標の登録が無効であるとする原告の主張は理由がなく、原告の無効審判請求を排斥すべきものとした本件審決にはなんらの違法もない。

よつて、同審決の取消を求める原告の本訴請求は失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 福島逸雄 入山実 荒木秀一)

(別紙)

被告の登録第550116号商標<省略>

原告の登録第525122号商標<省略>

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